カオスと初期値鋭敏性:ローレンツの四捨五入からバタフライ効果まで
1961年、小数第3位で丸めた数字が天気予報の限界を明らかにした経緯、リアプノフ指数で見積もる予測可能な時間、決定論と予測可能性の違い、フラクタルな境界、そして1972年の「バタフライ効果」講演が実際に語ったこと。
同じ方程式に同じ数字を入れれば、同じ答えが出る。1950〜60年代、コンピューターで天気を計算しようとしていた気象学者たちはそこに期待をかけていました。観測を細かくし、計算機を速くすれば、予報はどこまでも先へ延ばせるはずだ、と。その期待を崩したのは、意外にも数字を3桁少なく打ち込んだことでした。
1961年冬、0.506127 の代わりに 0.506
MIT の気象学者エドワード・ローレンツは、Royal McBee LGP-30 という小型コンピューターで12変数の大気モデルを動かしていました。ある日、以前の計算の一部をもっと長く見たくなった彼は、最初から計算し直す代わりに、途中の値を印字結果から書き写して入力しました。機械の中では 0.506127 のように6桁で計算していましたが、印字には 0.506 のように3桁しか出ていません。1000分の1程度の差なら問題ないと考えたのです。
コーヒーを飲みに行き1時間ほどして戻ると、新しい計算は最初こそ古い計算をなぞっていたものの次第にずれ、モデル内の時間で数か月たつと両者の似ているところは消えていました。アメリカ物理学会(APS)の会報がまとめたこの逸話の要点は、機械の故障ではなかったことです。小さな丸め誤差が計算の進行とともに着実に大きくなり、ついには解全体を支配したのです。
ローレンツはこの現象をもっと単純な方程式に移し、1963年に『Journal of the Atmospheric Sciences』に「Deterministic Nonperiodic Flow(決定論的な非周期的流れ)」を発表しました。下から温められる流体の対流を3つの変数 x、y、z に縮めたモデルで、いまローレンツ・アトラクターと呼ばれる図はここから生まれました。要旨の結論はいま読んでも明快です。解が有限の範囲にとどまる系では、非周期的な解はふつう小さな変化に対して不安定であり、わずかに異なる初期状態がかなり異なる状態へ発展しうる。ローレンツはそこから天気へ話を進め、大気がこの性質を持つなら、十分遠い未来の予報は現在の状態を正確に知らない限り不可能だと書きました。
決定論的なのに予測できない
19世紀初め、ラプラスは宇宙のすべての粒子の位置と力を知る知性があれば、未来も過去もすべて見通せると書きました。カオスはこの考えの前半を否定しません。ローレンツ方程式に乱数はなく、二重振り子の運動方程式もニュートン力学そのものです。同じ初期値を入れれば、毎回同じ軌道になります。崩れるのは後半、つまり「知ることができる」という前提です。
2つを分けると整理できます。
- 決定論:初期状態がまったく同じなら、未来もまったく同じ。
- 予測可能性:初期状態が少し違えば、未来も少ししか違わない。
日常的な計算の多くは両方を満たします。砲弾の着弾点は、発射角を0.1°間違えてもその分しかずれません。カオス系は前者を満たし、後者を満たしません。現実には初期状態を無限に正確に測る方法はないので、決定論的な法則があっても遠い未来は分かりません。
この性質を最初に見つけたのはローレンツではありません。ポアンカレは1890年ごろ三体問題を研究する中で軌道が初期条件にきわめて敏感になりうることに気づき、1908年の『科学と方法』で、初期条件の小さな差が最終的な現象に大きな差を生むことがあり、そうなると予測は不可能になると書いています。ローレンツの功績は、それが天体力学の特殊な問題ではなく、数行の方程式にも、天気という実用的な問題にも現れることをコンピューターで示した点にあります。
どれくらい速く離れるか:リアプノフ指数
「少し違えば大きく違う」を数値にしたのがリアプノフ指数 λ です。近い2本の軌道の距離 δ が平均して δ(t) ≈ δ₀·e^{λt} のように増えるとき、λ が正ならその系は初期値に敏感です。名前は19世紀末に運動の安定性を研究したロシアの数学者アレクサンドル・リャプノフに由来します。
ローレンツが使ったパラメータ(σ = 10、ρ = 28、β = 8/3)では、最大の指数は約0.906。誤差が2倍になるのにモデル時間で ln 2 ÷ 0.906 ≈ 0.77 かかります。ここから大事な結論が出てきます。誤差がある許容値 Δ に達するまでの時間は
t ≈ (1/λ) · ln(Δ/δ₀)
で、予測可能な時間は初期誤差の対数にしか比例しません。初期誤差を1000分の1にしても延びるのは ln(1000)/λ、ローレンツ系ではモデル時間で約7.6だけです。測定器を1000倍よくするコストに比べれば、見返りはごく小さいのです。
二重振り子シミュレーターでこの関係を確かめられます。腕の長さ1m、大きな角度から出発した2本の振り子の角度差を 10⁻³ rad から 10⁻¹² rad まで1000分の1ずつ小さくしていくと、目に見えて分かれる時刻は毎回約3秒ずつしか遅くなりません。実物での測定もあります。Shinbrot らは1992年、実際の二重振り子で誤差が毎秒 λ = 7.5 ± 1.5 の割合で増えると報告しました。
天気でも同じ構造が確かめられています。Zhang ら(2019年)は高解像度の全球モデルで初期誤差をほぼなくした実験を行い、中緯度の日々の天気の予測可能性の究極の限界を約2週間と見積もりました。現在の実用的な予報の有効期間(約9〜10日)は初期誤差を一桁減らせば数日延ばせるものの、観測をいくら改善してもその先は越えにくい、という結論です。
止まる運動でも予測できない:フラクタルな境界
カオスというと、いつまでも不規則に動き続ける系を思い浮かべがちです。しかし最後には必ず止まる系でも、「どこで止まるか」は予測できないことがあります。
磁石振り子がその例です。床に磁石を3つ置いてその上に鉄球の振り子を吊るすと、摩擦のせいで振り子は必ずどれかの磁石の上で止まります。出発点ごとに行き着く磁石の色を塗ると、広い単色の領域の間に3色が細かく入り組んだ帯が現れ、その帯を拡大するとさらに細い帯が出てきます。これをフラクタルな引き込み領域の境界と呼びます。
McDonald、Grebogi、Ott、Yorke(1985年)は、こうした境界が予測にとって何を意味するかを整理しました。出発点を精度 ε で知っているとき、結果を外す確率は ε^α のように減りますが、境界がフラクタルだと α は1より小さくなります。精度を10倍にしても、外れる確率は10分の1まで下がりません。これは計算を長く続けなければならない問題とは別の話です。振り子が止まるまで30秒でも3分でも、出発点を十分正確に知らなければ最終的な答えも分かりません。
「バタフライ効果」という名前
ローレンツの1963年の論文に蝶は出てきません。この言葉は、1972年12月29日にワシントンで開かれたアメリカ科学振興協会(AAAS)第139回年会での講演題目から生まれました。題は「Predictability: Does the Flap of a Butterfly’s Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?(予測可能性:ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こるか)」。ローレンツが題を期限までに出さなかったため、セッションを担当した気象学者フィリップ・メリリースが付けたと、ローレンツ自身がのちに明かしています。ローレンツ・アトラクターが蝶の羽に似ているのは偶然です。
講演の中身は、よく引用される「小さな原因が大きな結果を生む」よりも慎重なものでした。ローレンツは、題の問いを軽々しく立てたと思われないようにと断ったうえで、まず2つの命題を示しました。1つは、蝶の1回の羽ばたきが竜巻の発生にかかわりうるなら、その前後のすべての羽ばたきも、ほかの無数の蝶も、人間を含むほかの生き物の活動も同じであり、羽ばたきは竜巻を防ぐ側にかかわることもありうる、ということ。もう1つは、そうした小さな乱れは竜巻のような現象の頻度そのものを増やしも減らしもせず、せいぜいその起こる順序を変えるだけだろう、ということです。そして、大気が本当にそこまで不安定かどうかは当時まだ答えが出ていないと認めています。
ですから、バタフライ効果を「蝶が竜巻の原因だ」と読むのは本来の意味とは逆です。ローレンツが言いたかったのは、原因を1つに特定できないほど無数の小さな差が混ざり合っていて、そのどれが結果を分けるかは前もって分からない、ということでした。
よくある誤解4つ
カオスはランダム? 違います。カオスは規則が完全に決まった系から生まれます。ローレンツ・アトラクターの粒子は空間を好き勝手にさまようのではなく、二枚の翼の形をした薄い構造の上に集まります。個々の軌道は予測できなくても、全体の形は毎回同じです。
小さな変化はいつも大きな結果を生む? 違います。二重振り子も小さな角度で揺らせば誤差は大きくなりません。ローレンツ方程式でも ρ を約24.74より下げると(より正確には約24.06より下)、やがてすべての軌道が固定点に落ち着きます。初期値鋭敏性は特定の条件で現れる性質です。
天気が当たらないなら気候も予測できない? ある日の天気と、何年分もの統計は別の問いです。ローレンツ・アトラクターで粒子1個の位置はすぐに分からなくなりますが、粒子がそれぞれの翼にいる時間の割合のような統計は安定しています。気候の予測はこうした統計を扱います。1972年の講演で、小さな乱れは頻度ではなく順序を変えるだけだと述べたのも同じ区別です。
コンピューターが進歩すれば解決する? 予測可能な時間は初期誤差の対数に比例するので、計算能力と観測精度を大きく上げても得られる時間はわずかです。そのため実際の予報は、1つの答えを出す代わりに少しずつ違う初期値で何十回も計算するアンサンブル予報に移りました。結果のばらつき具合で予報の信頼度を判断するやり方で、二重振り子シミュレーターが振り子100本を一度に動かすのと同じ発想です。
試してみること
- 二重振り子で初期角度の差を 10⁻³ から 10⁻¹² まで変え、分かれる時刻を測る。小さな角度(10°)で同じことをすると何が違うか比べる。
- ローレンツ・アトラクターで ρ を28、24.5、20、0.5と変え、カオスが現れたり消えたりする境目を見る。
- 磁石振り子で摩擦を0.4から0.05まで下げて色の境界がにじむ様子を見て、境界上の隣り合う2点をタップし、軌跡がどこで分かれるかを確かめる。
出典
- E. N. Lorenz, Deterministic Nonperiodic Flow, J. Atmos. Sci. 20(2), 130–141 (1963)
- APS News, This Month in Physics History: Circa January 1961: Lorenz and the Butterfly Effect (2003)
- E. N. Lorenz, Predictability: Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?(AAAS第139回年会、1972年12月29日)
- J. C. Sprott, Lyapunov Exponent and Dimension of the Lorenz Attractor
- T. Shinbrot, C. Grebogi, J. Wisdom, J. A. Yorke, Chaos in a double pendulum, Am. J. Phys. 60, 491 (1992)
- S. W. McDonald, C. Grebogi, E. Ott, J. A. Yorke, Fractal basin boundaries, Physica D 17, 125–153 (1985)
- F. Zhang et al., What Is the Predictability Limit of Midlatitude Weather?, J. Atmos. Sci. 76, 1077–1091 (2019)